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語り部

15年前の1/17に、
私は兵庫県西宮市の自宅で阪神淡路大震災に被災しました。

今までその話を人前でしたことはほとんどありませんでしたが、今年の1/17は何人かの方の前でお話をしました。


ですが、少し遡って、
1/15の出来事から書いてみます。

1/15は仕事の後、
職場の人とご飯を食べた帰りに電車で寝てしまい、今年初の乗り過ごしをしてしまいました。
目覚めたら白市駅。
仕方がないので、タクシーで自宅に帰りました。
1/13にある物を頑張って提出したので(通るか分からないので内容は秘密です)、ちょっとゆっくりしようと思ったのに、それどころじゃなくなりました。
ご飯とともひ嗜んだお酒が良くなかったもよう。


翌1/16は、
久しぶりにシーツを洗濯したり、
4年も履いているパンプスの靴底の修理をしてもらったり、
気になってたことが色々出来た日でした。


そして、
1/17は、「ひろしま環境大学」の講座(時間:10〜16時、場所:RCC文化センター)でエコ・カンパニーの事例発表があったので、
私はスタッフとして参加しつつも、
色々勉強させてもらいました。

講座では、
西条酒造組合の代表をされている賀茂泉の社長さんのお話の後、
3つの企業の事例発表がありました。

私は学生時代に「かっぱのおうち」というグループの代表をしていました。
そのときに西条酒造組合や広島大学などなどでつくる「西条山と水の環境機構」から「山水賞」10万円を頂きました。
それ以外にも山の手入れをお手伝いさせてもらったり、
子供と山登りするのをお手伝いしたり、
西条山と水の環境機構さん&賀茂泉の社長さんにはとってもお世話になっています。
なのに、今回もまたお話をお願いしてしまいました。
発表のスライドに山水賞を頂いたときの自分の写真と新聞記事があって、とっても懐かしかったです。
確かD1の時に頂いたので、もう4年前です。


事例発表をして下さった企業さん3社のうち、お一人の方がなんと知り合いでびっくりしました。
学生時代に山の手入れをしにいって仲良くなった女の子のお母さんが、
実はテレビ局の方だったのですが、その方が発表されていたのです。
その方の関わられている番組が、自分の指導教官だった先生の取材をされたこともあり、
私のことを覚えていて下さって嬉しかったです。
しかも卒業出来たか気にかけていて下さいました。
ありがたいです。
なんとか修了できました(大学院は卒業でなく、修了といいます)。


そんなこんなで懐かしい想いに浸った後は、
さらに昔の15年前の阪神淡路大震災の体験の語り部をしに、
観音(広島西飛行場の近く)にある真宗学寮に行きました。

10名くらいの方が集まられていました。
自分がうまく話せるか分かりませんでしたが、実家が西宮で当時母親の本にとんでいったという住職さんがおられて助けてもらいながらお話しました。


私の実家は、ひびが入った程度で、しかも私は1週間後には親戚の家に避難させてもらって、2ヵ月程度そこで学校にも通わせてもらいました。

亡くなってしまった同級生、家が潰れてしまった人に比べると、
被害が少ない上に、
自分はすぐに親戚のところに避難してしまったことで、
逃げたんだという罪悪感がずっと拭えていなかったことが初めて分かりました。

そしてそれを口に出したことと、「そう思う必要は無いんだよ」って言ってもらったことで、心が楽になった気がしました。


去年、会社の防災研修で他の人が地震体験をしているのを見ていただけで、
血の気が引いて震えと涙が止まらなくなってしまいました。
それから怖くて、揺れている映像も意識して避けています。
16日にやっていた地震の再現ドラマもCMで精一杯でした。
でもお話するのは意外と平気でした。
ちゃんとお話出来たか不安だけど。


話の後はみんなでご飯を食べに行って、
またちょっとお話してから帰りました。

そのときに、
ウクレレに載せて意訳した「般若信教」を聴かせて頂いて、
そういう唄だったのかと、
今まで耳で聴いていた音が、
意味を考えながら感じることが出来て良かったです。

自宅に帰ったら18日の1:40になっていましたが、
良い出逢いのあったいい一日でした。
これからも精一杯生きていきたいです。
きっとずっともがきながらだと思うけど。

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コメント

阪神淡路大震災から15年がたちましたね
当日の朝は寝ていたのですが…
ここ東広島でも地震を感じ目が覚めました

すぐにテレビをつけ地震の震源地を確認しましたが
その時は神戸で大きな被害が発生してるとは報じられていませんでした

会社でお昼のニュースを見て初めて
神戸の震災の状況を知り とても驚いた次第です

長田には祖母と叔母が住んでいたので
安否が気になって電話をするものの…電話は繋がらず

翌日 従兄の携帯電話にやっとつながり
親戚に誰一人 大きな怪我をしたり亡くなった人はなく
みんな生きていることを知り安堵した記憶があります

住まいが半倒壊して住むことができなくなった事と
高齢な事から祖母を迎えに神戸に出向いていきましたが西明石より東には車でいくことができず電車にのって神戸に入り その状況を見ました

祖母は我が家に何ヶ月か(一年弱?)疎開していました
私としては 子供の時に遊びに行った記憶しかない
お婆ちゃんといっしょだったので
週末には 神社やお寺に遊びに行き それはそれで楽しかったです

その後 仮設住宅への入居に抽選で当ったので
祖母も神戸に戻りましたが…亡くなってしまいました 

狭い仮設住宅での ひっそりとした葬儀で
思い出すと 涙がでる思いです

そういえば…明日が祖母の命日です

被災地で献身的に救出作業や支援活動を行うのは
とてもご苦労で大変な事ではあるとは思いますが…

あの混乱した状況を目の当たりにすると
子供やお年寄りは 安全な場所に避難してと言うのが
最良な選択枝ではないかと私は思いますよ

投稿: 竹ちゃん | 2010年1月20日 (水) 20時24分

竹ちゃんさん

惨状という言葉はふさわしくないかもしれませんが、地震の後父親と2人で芦屋の祖父母宅に無事を確かめに行ったときに見た風景が強烈に脳裏に焼き付いています。


間違いなく私の人生観を大きく変えた出来事の一つです。

投稿: あさみん | 2010年2月 1日 (月) 19時23分

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